NOVLUM

星譜の声

第二章「黄昏の都市」

第15話「写しの頁」

公開:2026.08.03 ・ 2,883文字

写しの頁

東窓の朝の残光のいちばん外の縁で、テオドルの掌の腹が、書物の閉じた頁の表と裏の閾を、ひと節、なぞりはじめた。

なぞる掌の下で、乾いた金の色は、頁の縁の外側から、内側の方角へ、ほんの細く、色相を、傾かせた。 傾いた色相の芯のところで、頁の一枚のいちばん古い節と、次の頁のいちばん新しい節の、二つの温度が、ひと節、応え合った。

ライラは、東窓の下の板の上で、素足の踵を、外套の裾の内側へ、ひと節、引き寄せた。 引き寄せた毛織の裏地の藍が、テオドルの掌の下の乾いた金の色の芯の場所へ、細く、指を、伸ばしかけた。 伸びかけた指の第一関節のところで、彼女は、藍を、止めた。 止めた藍の下で、右手の中の石片は、外套の裾の内側で、ひと節、太さを、増した。

「頁の中に、指を、伸ばそうと、しましたね」

テオドルの声は、書物の表紙の上の掌を、離さないまま、置かれた。 低くもなく、高くもない、乾いた温度だった。 声の芯のいちばん奥のところに、責める色は、無かった。 代わりに、そこには、いちばん古い羊皮紙の温度の匂いが、ひと節、置かれていた。

ライラは、答えなかった。 答える前に、外套の裾の藍を、ひと節、引き締めた。 引き締めた裾の内側の芯のところで、石片の温度が、頁の側の乾いた金の色に、もう一節、傾いた。

——飢えている。

その理解は、彼女の胸の芯の場所で、静かに、澱んだ。 澱んだ底のいちばん深い場所で、修道院の書物庫のいちばん奥の、封じられた扉の温度が、ひと節、頁のほうへ、押しあがった。 その扉の内側の温度を、ライラは、まだ、視た覚えが、無かった。 けれど、視ないまま——その扉の芯の場所へ、いつも、指を伸ばしかけていた自分の癖を、彼女は、否めなかった。

「わたしは」 ライラの声は、ひと呼吸、遅れて、置かれた。 「頁の縁の色を、飲み込もうと、しました」

テオドルの掌は、書物の表紙の上で、そのまま、動かなかった。 動かないまま、その掌の腹の温度が、頁の内側の乾いた金の色の芯の場所へ、もう一節、深く、応え合った。

「飲み込む前に、止めたのは、良い癖です」 テオドルの声は、東窓の下の板の縁の温度へ、静かに、置かれた。 「頁の縁の色は、視る側にとっては——毒に、なり得ます」

——毒。

その言葉は、ライラの喉の奥のいちばん深い場所で、ひと節、乾いた。 乾きの温度の下で、右手の中の石片は、頁の側から、いちど、ほんの細く、離れた。 離れた石片の芯のところに、修道院の朝の朗誦のいちばん最初の一節の温度が、静かに、戻ってきた。

けれど——戻ってきた温度の芯のあたりで、彼女の胸のいちばん深い場所は、まだ、頁の側のほうへ、細く、傾いていた。

テオドルは、書物の表紙の上の掌を、初めて、離した。 離した掌の下で、乾いた金の色は、ほんの細く、頁の内側へ、退いた。 退いた色の芯の場所へ、テオドルは、書物の表紙を、ひと節、めくった。

一枚目の頁の内側の縁のところに、写しの手の、いちばん古い墨の匂いが、ひと節、置かれていた。 墨の芯の温度は、修道院の書物庫のいちばん奥のどの写しよりも、ひと回り、乾いていた。

「この書物は——写しの、写しの、また写しです」 テオドルの掌は、頁の縁を、押さえなかった。 「元の書物は、もう、この大陸には、残っていません」

ライラは、書物の頁の内側の縁の墨の匂いを、視た。 視た拍子に、彼女は、いちど、息を、止めた。 止めた息の下で、外套の裾の藍も、動きを、止めた。 息を、ふっと、細く、吐いた。 吐いた息の温度に沿って、藍は、頁の内側の乾いた金の色の芯の場所へ、細く、指を、伸ばした。 伸びた指の先で、頁の内側のいちばん古い節の色が、ライラの藍のほうへ、応え返した。

——元の書物の温度を、写しの手が、いく重にも、なぞってきた。

その理解は、ライラの胸の芯の場所で、ひと節、澱んだ。 澱んだ底のいちばん深い場所で、彼女の右手の中の石片は、写しの頁の内側の色の温度と、もう一節、応え合った。

「元の書物には」 ライラの声は、思ったよりも、ひと節、低く、出た。 「何が、書かれていたのですか」

テオドルは、答える前に、頁の上に、掌を、置かなかった。 置かない掌の腹の温度が、頁の内側の乾いた金の色の芯の場所へ、ひと節、傾いた。

「視える者の、名簿です」

視える者の、名簿。 ライラの喉の奥のいちばん深い場所が、ひと節、震えた。 震えた震えの下で、外套の裾の藍が、頁の縁の乾いた金の色の芯の場所で、細く、静かに、頷いた。 頷いた藍の下で、彼女の右手は、無意識に、頁の内側の縁のほうへ、伸びかけた。 第一関節のところで、ライラは、自分の指を、また、止めた。

止めた指の下で、頁の内側の乾いた金の色は、ひと節、太さを、増した。

「わたしの、名前は」 ライラの声は、話しはじめの一節だけ、震えた。 「そこに、あるのですか」

テオドルの下顎の線が、ひと節、こちらへ、傾いた。 傾いた線の下で、書物の頁の内側の乾いた金の色は、ライラの藍のほうへ、もう一節、太く、応え返した。

「写しの中に、名前は、残りません」 テオドルの声は、東窓の下の板の縁の温度へ、静かに、置かれた。 「残るのは——名前が置かれていた、頁の外側の縁の、色の温度、だけです」

ライラの胸のいちばん深い場所が、ひと節、脈を、乱した。 乱れた脈の芯のところで、頁の内側の乾いた金の色は、彼女の外套の裾の藍と、いちばん深い節で、応え合った。

——この頁の外側の縁に、私の名前が、置かれていたのか。

問いは、彼女の胸の芯の場所で、静かに、震えた。 震えの下で、彼女の頬のあたりの熱は、ほんの細く、押しあがった。 彼女は、その熱を、抑えようとして、抑えきれなかった。

背中のうしろの、東窓の外の街の縁の場所で、ひと節、遠くの鐘の音が、鳴った。 その鐘の音の温度は、修道院の朝の鐘の三節目の温度とも、応え合わなかった。 代わりに、鐘の芯のところに、街道の外の見張り塔の乾いた石の温度が、ひと節、混じっていた。

テオドルは、その鐘の音の方角を、視なかった。 視ずに、書物の頁の内側の乾いた金の色の芯の場所へ、右手の掌を、そのまま、置き直した。 置き直した掌の下で、乾いた金の色は、頁の外側の縁のほうへ、ひと節、退いた。

「あなたの名前は」 テオドルの声は、書物の頁の外側の縁の温度へ、初めて、置かれた。 「この写しの、いちばん外の縁に——薄く、まだ、残っています」

ライラは、書物の頁の外側の縁を、ひと節、視た。 視た先で、乾いた金の色の芯の場所に、細く、銀の名残が、ひと節、沈んでいた。 その銀の名残の温度は——修道服の袖の奥の、あの朝の踊り場から拾った石の温度と、確かに、同じ深さに、応えていた。

胸のいちばん深い場所が、ひと節、震えた。 震えの下で、外套の裾の藍は、書物の頁の外側の縁の、銀の名残の温度と、初めて、同じ節を、応え合わせようとしていた。

——応え合わせて、しまえば。

問いの半分は、まだ、彼女の唇の内側で、置かれたままだった。 残りの半分の芯のあたりで、東窓の外の遠くの鐘の音の温度は、街道の外の見張り塔の乾いた石の温度のまま、もう一節、こちらへ、近づいてきていた。